< 科 学。そして、ベーダへと >



ATMA(アートマ)理論
アートマ上に、(意味ある)単語のリファレンスが一つあって、それが反射してこの世では多種多様な形となってあらわれる。
身体から発生される音は、それが反射して伝わるときに副次的に生じたものであり、色々な形を成す。




物事の真実にせまるには、結局、形而上学(けいじじょうがく)的な理解 が不可欠であると感じている。 数式や数々の理論探求をして得る科学的な努力と理解、そして到達できたところは、人生の最期に役に立つのだろうか? とま れ に疑問に思うことがある。
 
「認識する」ことは、つまり、それは生命に関する知識であるとも言える。数式や数々の理論によって生命の根本を説明するのは究極的には不可能であろう。

科学を捨てたところの先に、形而上学(けいじじょうがく)的な理解がまっている。そのひとつの方法として、ベーダ(インドの聖典)の勉強 探求もあるであ ろう。



2005年7月-2006年8月27日
2007年1月15日
2011年9月2日

"先ずは、汝、自身を知れ。"